暮らしを心地よくするノート

人、物、事との付き合い方を見直して、暮らしを心地よくするための記録です。

阪口ゆうこさんのひとり力。そして“希望”

阪口ゆうこさんの

『「ひとり力」のある暮らしかた』

を読んでいます。

阪口ゆうこさんの

ロジカルだけど簡潔でわかりやすい考え方や

伝え方が好きです。




 目標は「一文字」で充分


のページでふと読むのが止まり、

自分の思考が始まりました。

私は今も来年も「健(やか)」でいきたい。

でも人生のテーマは「希望」だ。

(一文字じゃないけど)

そして「夢」でもある。


夢は、学生のころから20代半ばまで

私のテーマだった。

卒論もだし、

ゼミも他学科のお試し受講も、

当時やってた劇団も

寝てる間も

起きてるときに頭の中でリフレインする音楽まで

「夢」だった。


一つのことに夢中になると、

関連する物事にアンテナが立つのか

向こうからやってくるみたいに

自然に“出会う”のだ。


今の「希望」は、

お世話になってる方に

タロット占いをしてもらって、キーワードになった言葉だったり、

私が偶然引いた

オラクルカードの象徴ワードだったり、


私が大好きな宝塚のトップコンビは

それぞれの芸名を一文字ずつ取って

「希望コンビ」なんて呼ばれてたり。

とりあえず

「希望」が集まってくることに気づく。


そして望海さんは夢を叶える天才だ。


話が逸れた。


希望の話に戻すと

ふと、

「希望をもつ」って言うけれど、

“希望”と“期待”ってどう違うんだろう、

という疑問が湧いた。


自分の感覚だと、

“希望”は

自分が思い描く明るい未来が訪れることを「信念のように持つもの」で、


“期待”は

淡くても強くても「誰かの力が働いて」

自分が思い描く明るい未来が訪れると

「予想している」イメージ。

来い来い来い、みたいな。


辞書を引くと、ほぼ同じ意味で書かれていて、

そこにニュアンスの違いがあるのかないのか

私にはよくわからなかった。


でも“希望”は持つもので、

“期待”はするものだな。


そうすると前者は意志を感じるし、

後者は状態のことを言ってるのかなとか。


「自分の人生に希望を持つ」って言うと、

明るい気分になるけど、

「自分の人生に期待する」って言うと

私には重くて無理ってなる。


そんなことをダラダラ考え始めてしまって

読書がストップしてしまいました。

他の人は、読書しながら思索に没入することはないのかしら。



そういえば卒論で

夢の和歌について書いたとき、

結論部分で「絶望から生まれる希望がある」

というような表現をしていたことを思い出しました。


そのフレーズのアイデアは

ゼミの先生からいただいたのだけど、

激鬱で悪い考えが頭の中を回っていたとき、

私を救ってくれたフレーズの一つだったように思います。